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Vol.1 ヴァーツラフ・ターリヒについて
    ベロウンへの旅 〜山田代表旅行記〜
(2011,6,26 第四回演奏会 パンフレットより)
ヴァーツラフ・ターリヒについて
 ターリヒは1883年5月28日にモラヴィアのクロムニェジーシュに生まれ、プラハ音楽院で
ヴァイオリン奏者として腕を磨き、伝説の名指揮者アルトゥール・ニキッシュの元で
ベルリン・フィルのコンサートマスターに就任するものの、ニキッシュの助言により指揮者を
目指す。ベルリン・フィルを退団した後、各地のオーケストラ、オペラの指揮者を歴任し、
1919年にチェコ・フィルの常任指揮者に就任。1941年に退任するまでの間、録音、
演奏旅行などを積極的に行い、チェコ・フィルを世界的にオーケストラへと成長させる。
チェコ・フィルの楽譜に自ら手を入れ、特にドヴォジャークの交響曲はターリヒが
演奏スタイルを確立したと言っても過言でない。ターリヒのスタイルは今日まで継承され、
チェコの伝統的スタイルとして受け継がれている。
 ターリヒは膨大なレパートリーを誇り、チェコ音楽はもちろんのこと、オペラ、バッハ、
ベートーベン、ブラームス、ロシア音楽、北欧音楽、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ
などの当時の現代作品まで幅広く取り上げた。特にマーラーは1930年代にチェコ・フィルと
兼任していたストックホルム・フィルで8番を除く全交響曲を取り上げている。(たまに全交響曲と
書いてある文献があるが、間違いである。Milan Kuna著書評伝の巻末の全演奏会記録参照
 この間の1926年6月26日に初演したのがヤナーチェク「シンフォニエッタ」である。この時、
同時に演奏されたのがスメタナ「わが祖国」全曲である。しかしこの初演以後、ターリヒは
シンフォニエッタを指揮してないので、当然録音も残されていない。
 今回演奏するドヴォジャーク交響曲第5番は、1919年12月7日にチェコ・フィルの演奏会で
取り上げて以来、録音こそしていないが演奏旅行などを含めて18回指揮をしている。
 またスク「祖国新生へ向けて」は、1921年3月23日にチェコ・フィルで初演して以来、
7回取り上げ、録音もしている。
 ターリヒは、1955年、チェコ・フィルの指揮台に立つまでのべ958回もの演奏会を指揮した。
この回数は、ターリヒの同時代にともに重要な指揮者であったフランティシェク・スプートゥカの
1098回、我々にも馴染みあるヴァーツラフ・ノイマンの1092回に次ぐ回数である。
 晩年のターリヒは、自ら育てたチェコ・フィルを「もはや教える必要が無い」と言い、
自身の仕事を締めくくったという。
 今から50年前の1961年3月16日に、ヴァーツラフ・ターリヒは77年の生涯に幕を下ろした。
 現在は、別荘を構えたプラハ近郊の街ベロウンの共同墓地に静かに眠っている。
  

ベロウンへの旅 〜山田代表旅行記〜
 2010年10月9日。私としては、8回目のチェコ訪問。本日の目的地は、ベロウンに眠る名指揮者
ヴァーツラフ・ターリヒの墓参りに行くこと。ベロウンは、ターリヒが長年住まいを構えたプラハから
西へ30キロ程行った小さな街。チェコ・フィル110周年記念誌にベロウンにあるターリヒの墓の前で
佇むスビャトスラフ・リヒテルの写真がある。この写真だけを頼りにベロウンへ行くのだ。事前に
インターネットでベロウンの地図と航空写真をみて、街の大きさや墓地がありそうな区域の目星を
つけていた。細かいことは、駅に降りてから考えれば良い!と実に無計画で無謀な旅である。
なんせその調べた地図を印刷してくるのを忘れてきたのだから・・・
 10:04にプラハ中央駅から急行列車に乗り込み10:43にベロウン駅に降り立つ。
土曜日ということで、市街地で青空位置がやっていて家族連れで賑わっていた。
10月初旬ということで、昼間は暖かくまぶしい太陽が差し、とても過ごしやすい季節である。テラスで
ビールを片手にゆっくりと休日を過ごす人もいる。
 途中、町中に地図を見つけ、デジカメに収めて目星の方向へ歩みを進める。「ターリヒ通り」なる
通りがあり、やはりここはマエストロ・ターリヒが愛した街なのだ!と実感。そして駅から20分程度
歩いたところで、目星にしていた区域に到着した。そして街の共同墓地がり、中へ入ってみると看板に
ターリヒの墓とある。その方向へ向かうと、写真で見たものと全く同じマエストロ・ターリヒの墓が
あった。本に掲載されていた写真1枚だけを頼りにここまで来る日本人は、この私以外にどれだけ
いるのだろうか?と思ってしまう。
 実は、前日の10月8日は、ターリヒに学んだサー・チャールズ・マッケラスの生誕80周年を
記念したチェコ・フィルの演奏会のはずであった。しかしマッケラスの演奏会を聴くという当初の目が、
マッケラスの急死により果たせなくなった。とは言え、ターリヒ、マッケラスと続く系譜を肌で感じる
ことができたのだ。20分ばかりそんなことを考えながら、墓参りを終わらせた。そして駅に戻り、
12:21発のプラハ行きに乗り込み、ベロウンを後にした。

※この約2ヵ月後の12月31日、私は当団指揮である佐伯先生、トランペット奏者のM君と共に、
 再び全く同じ列車に乗り込み、マエストロ・ターリヒの墓参りをしたことを記しておく。

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